僕が公務員を辞めた理由──「向いていない」と気づくまでの話
結論:僕は、公務員に向いていないと気づいた。
僕が公務員を辞めた理由は、
結局この一言に尽きます。
「公務員に、どうしても自分は向いていない。」
公務員という仕事が悪いわけではありません。
むしろ、市役所で働く人は本当に良い人が多かった。
でも、どれだけ環境が良くても、
“仕事そのものが自分と合わない” と、
じわじわ心が削れていく。
この違和感が、最初の転職の芽になりました。
そもそも、なぜ公務員になったのか?
理由はぶっちゃけ、
「安定していて、楽そうだったから」。
大学生だった当時の僕は、
特にやりたい仕事もなく、将来のビジョンもなく、
とにかく “楽できる道” を探していました。
そして耳にタコができるほど聞いた言葉。
- 「公務員は安定してる」
- 「一回入れば一生安泰」
- 「給料も悪くない」
これらをそのまま信じて、
深く考えることなく市役所を選びました。
正直に言います。
「世間体は良いし、仕事は楽そう♪」──これが受験理由の9割でした。
今ならわかりますが、
「楽そう」というイメージほど危険なものはない。
でも当時の僕には、それしか答えがありませんでした。
実際に働いてみて感じた現実
働く人たちは良い人ばかり。でも、クレーム対応がどうしても無理だった。
市役所に入ってまず驚いたのは、
人間関係の良さ でした。
優しい先輩、丁寧に教えてくれる上司。
裏で悪口を言う人もほとんどいない。
「こんな職場あるんだ……」と思うくらい、
環境は本当に良かった。
ただ、その一方で──
クレーム対応が、僕にはどうしても苦痛でした。
毎日のように怒鳴られ、
理不尽な要求をされ、
こちらに非がなくても謝り続ける。
コロナ禍でクレーム対応が何ヶ月も続いた、ある朝のこと。
いつも通り起きて、支度をしているときに、
ふと口から漏れました。
「早く帰りたい……」
まだ仕事に行く前。
自分の家にいるのに、おかしな話です。
この瞬間、僕はハッキリと気づきました。
「あぁ、僕はこの仕事に向いていない。」
これが、限界を自覚した最初の瞬間でした。
「自分は“損な役回り”を引き受ける側なんだ」と気づいた出来事
コロナ対応で痛感した、“都合の良い人に負担が偏る構造”。
市役所で働いていた当時、
市の施設でクラスターが発生しました。
世間がまだ未知のウイルスと認識していた時期、
僕は “自主的に” 現場へ行くことになりました。
……建前では「自主的」。
でも実際は、誰も手を挙げない空気の中で、
「他の誰かが行くと言うまで、みんな耐えよう」
そんな雰囲気でした。
結局、僕が現場対応に行くことになり、
防護服を着て黙々と作業をしながら、
心のモヤモヤは消えませんでした。
- 誰かが見てくれるわけでもない
- 評価されるわけでもない
- 危険手当が出るわけでもない
そのとき、ストンと腑に落ちたんです。
「これは“頑張っても報われない”んじゃない。
“都合の良い人ほど負担が偏る仕組み”なんだ。」
この違和感が、
僕の心に大きなヒビを入れました。
「公務員って、辞めてもいいんだ」と初めて気づいた瞬間
親友の同期の退職が、僕の価値観を壊した。
そして決定打になったのが、
一番仲の良かった親友の同期が、市役所を辞めたこと。
しかも、次の仕事も決めずに。
その話を聞いた瞬間、
全身に電流が走ったような感覚がありました。
「え、公務員って……辞められるん?」
今まで
“公務員=辞めないもの”
という前提で生きてきたからこそ、
その枠が壊れた感覚でした。
彼はこう言いました。
「ぴょん吉、お前も公務員辞めようぜ。」
この一言が、
僕の背中を完全に押しました。
まとめ:向いていない環境から離れるのは“逃げ”じゃない。
それは、自分の人生を自分で選ぶということ。
僕が市役所を辞めた理由をまとめると、こうです。
- 仕事そのものが自分に合っていなかった
- クレーム対応で心が削れていった
- コロナ対応で「構造的に負担が偏る」と気づいた
- 同期の退職で「辞めてもいい」と知った
でも、本質はもっとシンプル。
「僕は、自分の人生を自分で選びたかった。」
向いていない場所から離れることは、
逃げでも甘えでもありません。
大事なのは、
辞めるかどうかではなく、
“考えるのをやめないこと”。
もしあなたも今、
「この働き方、一生続けたいんだろうか……」
と少しでも感じているなら、
その違和感は 変わる準備ができているサイン です。
あなたの人生は、あなたが選べばいい。

